副院長日記
2023/1/19 新年おめでとうございます。遅ればせですがご挨拶申し上げます。
暖かい正月でしたが正月中もコロナは一休みどころか増々勢いを増すばかりで毎日鬱陶しい感じ、世界を見てもウクライナ戦争だの、東アジア情勢だのまるで世界はチキンゲームをしているのではと思うばかりです。
暴虐な事をしたり核兵器で脅しをかけたり、世界の指導者には理性や知性と言うものがあるのでしょうか。
紀元前2世紀ころ現在の北アフリカのチェニジア国、チェニスの辺りにカルタゴと言う国がありました。
人口は最大で70万人程度、地中海交易に覇権を持った都市国家だったそうですが紀元前200年~100年頃にかけてローマ帝国と覇権争いをして第1次、2次、3次ポエニ戦争を戦い、勝ったり負けたり100年以上にわたってダラダラと戦争を続けて結局はローマに敗北し、都市は破壊しつくされて男子はすべて殺戮、女性・子供は奴隷とされたという歴史が残っています。農地には塩が撒かれて耕作不能にされてしまいました。まるで現在のウクライナ戦争のような話です。ウクライナでも無慈悲残虐を極める破壊や殺戮、奴隷化が心配される子供の連れ去り、など紀元前のローマ・カルタゴ戦争と同じのようで戦争と言うものはどれも似たような状態になるものだと慨嘆せざるを得ません。
毎年、良い事ばかり願いながら新年を迎えていた事が今となっては無邪気なものであったな、これからはそうは行かないだろうなと腹をくくり直さなければならないようです。
せめて自分や家族の健康はしっかりと守っていきたいものです。
早く明るい話が出来るようになりたいものだ、と思いながら今年もよろしくお願い申し上げます。
(なお、カルタゴを滅ぼしたローマの将軍は「今日のカルタゴは明日のローマだ」と言ったそうですがその通り、ローマ帝国も滅んでしまいました)
2020/6/12 新型コロナと新しい生活様式
新型コロナ感染はなかなか治まらず、コロナ以外にも世界中次々問題が起こって不穏な世の中ですが、テレワークのニュースを見て久しぶりの副院長日記を、と思いつきました。倉吉駅の石碑の事を思い出したからです。
新型コロナの事をうっとうしく思いながら、しみじみと倉吉に住んでいる事を有難く思っている所ですが、この頃一層人のまばらな倉吉駅の2番ホームに明治36年に建立された山陰線境港―倉吉(旧日下村)の開通記念の石碑があり、碑文の冒頭に鳥取県の倉吉は北は荒海、南は峻険な山々で船も馬も交通不便、人々は封建時代から天下の大勢も知らずに井の中の蛙に甘んじていた、というような事が書かれています「鳥取県之地北面海港湾甚稀風濤頻起舟揖利絶馬南負山峻・・井蛙自安不知天下之大勢・・見聞不廣云々」。
1行26文字、8行の漢文で最後に4文字、8行で鉄路開通したからには起業などを行なってしっかり働き、金もうけに励めよ、そうすれば民は幸せになるだろう、と括られていますが現代的感覚ではかなりの上から目線で書かれており、特に前半はいささかむっと来るような文章でやれやれ、こんなことを書かれてしまって、と思いながらも明治の中期、日清戦争が終わって間もなくの山陰の地はこんな風に見られていたのだろうな、やはり繁栄、殖産興業には鉄道は必須だなと思い、新幹線が欲しい、賑やかな町にもなって欲しいなどと思いながら読んでいたのですが、ところがこの新型コロナ騒ぎです。
多分新幹線が無かったから新型コロナからも入らなかったのですね。
県内三人の感染者にも重症者は無くて何が幸いするか判らないものだ、結局は鳥取県も倉吉もこれで良し、交通や環境も現在のままが良いという事か、と思いましたがしかし何もかも今のままという事ではまた井蛙の地になってしまうだろうし、悩ましい所です。
という訳でちょっと考えたのですが、いわゆる“新しい生活様式”だけでなく“新しい人作り、町作り”を行なえば井蛙の地でも風通し良く住み心地の良い井蛙の地になるのではないでしょうか、昔風に言えば田園都市ですね。
実際、テレワークだの、感染流行が起こりにくい町作りだのは飛行機も新幹線もないけれども光回線は通っている倉吉こそピッタリではありませんか。都会では通信容量オーバーで仕事も捗らないという事ですが、倉吉では1日働いて夕方にはマスクもはずしてスポーツや畑仕事、夜は一杯。なかなか良いではありませんか。
ゆっくり飲んでいる内にコロナの事なんて忘れてしまいます。
教育も先ずしっかりデジタル教育人材、教師の育成を行ない、生徒児童に機器を配ればたちまち先進教育が可能となって、木や花、カエルやバッタの実物をパソコンを見ながら学ぶことが出来れば都会以上の教育になります。いつ第二次、三次流行がくるか判らない時代ですし、子供たちの将来を考えればそれくらいの投資はしなくてはなりません。いかがでしょうか、デジタル化後進国の日本ですがまだ間に合います。
(6月8日 新型コロナ罹患者総数/日本総人口=16950人/126,000,000人=1人/7400人)
( 鳥取県 3人/ 555,000人 =1人/185,000人)
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※ 人や動植物に病気を起こすウイルスはおよそ1950種類あるそうですが非病原性のウイルスも含めると地球上175万種の生物種にそれぞれ20種類程度居ると見られており、全部で3000万種類ものウイルスが存在しているそうです。
海水中にも深海では1ml中100万個、なぎさでは1ml中1億個のウイルスが存在し、もし1列に並べると1000万光年分の長さ、銀河系の直系の100倍の長さになるという事です。
まさにウイルスワールドですね。ちなみに全人類が手をつないでも太陽と地球間距離の半分だけという事です。
2019/10/6 短歌に目覚めてしまった?
年に一回、一月中頃にNHK全国短歌大会というのが開催されます。
だれでも応募してよいのですが入選、佳作、秀作、特選とあり特選に選ばれた30人ほどは10数人の選者と共に二時間近くステージに上って短歌の紹介や評を受けられます。
今年はNHKホールで開催され司会者はNHKアナウンサーの小野文惠さんでした。
実は私も会場に参加していたのですが割と前の席で、憧れの小野さんの笑顔や目の輝きまで良く見えましたがTVで見ているよりずっと素敵な方でした。
会の終わりに最後まで伏せられていた大会大賞の3首が発表されます。
2019年は約2万1千首の応募があったそうですが、その中のたった3首が晴れがましい表彰を受けられて小野さんから賞状を渡されるわけです。
その一つが 「銀座には銀座の秋の空有りて 小さき画廊に椅子二つ見ゆ」 というのでしたが私は二つの椅子では美術の話や画家の話がされているのだろうな、と銀座の脇道の画廊を思い浮かべながら講評を聞いていました。
ところが最近インターネットでですが、ある画家が画廊に訴訟されて賠償金を3億円近く払え、という判決が下った、と言うニュースが目にとまりました。どうやら画廊と専属契約をしていながら300点ほどの絵を他の画廊に売ってしまい契約違反ということで訴えられたようです。
美術界も中々厳しいものだなあ、と1,2年前に読んだ「最後の秘境 東京芸大」という本を思い出しましたが東京芸術大学卒業者の半分だか1/3だかは卒後行方不明になっているそうで、美術、芸術の世界で「最後の生き残り」なるのは取引き、駈け引き、簡単ではないのだな、と改めて感じたわけですがそう思うと先の「銀座には・・・」という短歌で想像した会話は和やかな美術談義ではなくて修羅場の会話だったのかも知れません。
この一週間、3億円前後のお金が色々ニュースになっています。関西電力の社長や重役たちが原発利害関係者からお歳暮だのお祝いだのと断れない大金を預かってしまって、その内返そうと思いながらも10年、20年たっても返せなかった、とか警備保障会社の元従業員が会社に忍び込んで3億円余りを盗み、逮捕されたとかです。
お金は難しいものですが近々やって来そうなカード社会、キャッシュレス社会となるとさらに理解できない事となりそう、とんでもないことが起こりそうで検察、警察、裁判官にも目を光らせて頂きたいものですが先ずは皆さん、
ご用心を、という事でしょう。
短歌大会には私も3首応募しており「繕いを続ける妻の背を見つつ 何か言おうか秋の夕暮れ」というのが佳作に選ばれていました。
昨年秋、白内障手術を受けたのですがその際、2,3日テレビも新聞も見てはいけないという事で余りの退屈さに短歌でも考えて見ようと何十年かぶりに作ったものです。
仲々良いのが出来たなと自己満足をして、知り合いの方が応募された事がある、と言っておられた事を思い出して私も出してみようか、と埋め草用にもう二首作って出したのですが佳作入選は全国で500人、鳥取県からは2人だけで、暫くは何度も何度も女房に自慢してうんざりされていました。
今にして思うと「つ」の使い方が一寸しつこかったように思われますが、でもまあ小野アナウンサーのお顔も良く見えたし、手術がきっかけで色々いい事が有ったな、と改めて手術をして頂いた先生にも感謝して、次は私もあのステージに、とワクワク気分で今回も応募したところですが。
2019/6/25 平成から令和へ
長くこの欄をサボっていた所とうとう係りの職員さんに催促されてしまいました。引け目があるところに頭から水をかけられたような感じでしたが、丁度一雨欲しかったところと気を取り直し、本当に月日の経つのは早いもの、などととぼけているところです。
5月1日に令和になってから早くも一か月を過ぎ令和にもすっかりなじんだ感じになりました。忘年会などで昭和枯れすすきを歌っていたのが随分と昔のように思われます。
令和に移る前、テレビでは平成有り難う、平成有り難うと日本中が沸き立っているような報道で、次々起こった大災害や凶悪事件など平成の辛かった一面をぬぐい去るため誰かがこの大合唱の指揮を執っているのでは、という違和感も持たれましたが、それはそれとしてあちこちの被災地を訪れられた両陛下が床にひざをつかれて被災者を慰め、励まされて、被災者がつらい中笑顔で迎えているニュースを見ると本当にありがたく思われ、日本頑張ろう、みんなで頑張ろう、と涙が出たものでした。
上皇陛下、上皇后さまには大感謝しか有りません。
退位については色々議論があったとのことですが上皇陛下、上皇后さまのご表情が在位中よりリラックス、安堵されているご様子に見えて矢張り良かったと思えました。安堵という言葉は上皇陛下がしばしば使っていられた言葉ですが今はご自身の実感として感じていられるのではないでしょうか。機会があったらまた鳥取へお出で頂きたいものです。
令和が大災害のない、戦争に巻き込まれることもない穏やかな時代となる事を願い、しかも備えも怠らずで、連日のように報道されるむごい事件も無くなっていく社会になるよう念じているところです。
備えも怠らず、のついでですが災害避難所はもうちょっと何とかして頂きたいものですね。
床にブルーシートや布団を敷いただけの避難所を思うと早めに避難しておこうという気持ちにはなかなかなれません。
高さ30~40㎝、幅40×50㎝程度のプラスチック製ボックスを6個、畳一畳程度の広さに適当に並べ、その上に半畳ほどの簀の子板2枚を置いて毛布か布団を敷けば結構快適な超簡易ベッドになります。私は若いころ当直業務がありそうしていましたがよく眠れました。
床に直接だと埃や湿気、夏は蒸れるし冬は冷える、音も響きやすい、高齢者やひざが痛むような方は寝起きが大変でじきに足腰が弱ってしまう、トイレ我慢のためお茶も我慢してしまう、幼児は一層埃を吸いやすい、その他色々の問題が有り一時的な事としても抵抗感があります。昼間もベッドに座っていれば楽だし、隣の人と話もし易くなるでしょう。
地域拠点に備蓄して必要時は運び込むとすればそれ程多数を準備しなくてもよいし、経費もそれ程は掛からないと思います。鳥取県では三朝町や智頭町、日南町など山林業の盛んな地域で作れば大量生産でもっと安上がりになりそうで少しは地域産業の役にも立ちそうです。簀の子でなくて板だけでも良いかも知れません。令和記念の施策として頂きたいくらいです。
この6月で当クリニックも開院後5年間経ちました。長かったような短かったような5年間でしたが地域の皆様のおかげでと感謝しているところです。本当にありがとうございました。これからも地域医療について考えながら診療にあたっていきたいと考えているところです。どうかよろしくお願い申し上げます。
2018/1/24 ザリガニ新年
一月も末になってしまいましたが平成三十年、新年おめでとうございます。
災害やミサイル・核兵器など国内外色々不安や心配がある中ですが今年もこれから先ずっと世界も、日本もそして倉吉も落ち着いて平和に過ごせると良いですね。
昨年暮れに知り合いからザリガニ5匹を頂きました。
アメリカザリガニでひげや爪を除くと数cmのやや小さめのものです。
全身黒っぽいものや歌舞伎の隈取りのような赤い模様の入ったものがありますが経験知らずの若さで餌にだまされて釣られてしまったのかと思い、これから長い一生をこの小さなポリバケツの中で過ごさねばならないのかと少し不憫に思い、責任を持ってザリガニたちを幸せにしてやらなければと思いました。
しかしザリガニの幸せって何だろう、と疑問が浮かび井伏 鱒治の「山椒魚」を思い出して久しぶりに読んでみました。
小さな狭い穴の中で二年間寝ているうちに大きくなり過ぎて、出るに出られなくなった山椒魚が一生の不覚を嘆きながら自由に目の前を泳ぎまわる小魚に悪たれ口を叩いたり、うっかり穴に入り込んだ蛙を意地悪で閉じ込めて更に一年間も鬱憤晴らしの喧嘩をしあって、最後には山椒魚と空腹でへたりそうになった蛙がお互いもうどうでもよくなった、という短編ですが読んでもザリガニの幸せについては理解出来ません。
今のところザリガニたちはバケツの中で仲良く暮らしており、箸でつつきまわしながら観察すると逃げ回る足取りも速く、少しは大きくもなった様でまあ、それなりに元気で幸せに過ごしているように思われます。
昨日はバケツの外につまみ出して到来一ヶ月目の記念写真を撮ってやり特別に薄切りハム一枚をご馳走しました。
世界も何事も分け合い、譲り合って幸せに過ごせればよいですね。
ザリガニは春になったら川に戻してやろうと思っているところです。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2017/11/16 ママコノシリヌグイとさざれ石
仕事も早く終わってもったいないような秋晴れの木曜日の午後、山に行きたいとバスに乗りました。特に目的は無いのですが秋の空気を感じるため、そして何か雑草の花を探す為です。雑草の花はさりげなく優しくて園芸花より好もしいものが多いのです。
三朝温泉の旅館街を抜けて山の中を進み、大きな石鳥居をくぐり抜けて三徳山三仏寺は素通りで、もう一つ先の吉原という村まで着くと終点です。
バスを降りて渓流沿いの緩やかな道を下手に歩くと所々道端に宝石のような野ブドウや小さい花が咲いています。
暫く歩いて何気なく細い明るい脇道に入ると一叢の小さな薄紅色の花が咲いていました。
咲いているというより小さな金平糖を草茎の先っぽにくっつけた、という感じでしょうか。
これはっ、と思い細い茎を撫でて見るとチクチクザラザラ、小さな棘棘が密集しているような感じがありました。微かな手触りですがそう思って触ると意地悪そうな感触。
これがママコノシリヌグイか。偶然ですがあっけない出会いで少しびっくりでした。
実は何日か前、気まぐれで買った雑草図鑑を眺めていたらミゾソバによく似た花で「ママコノシリヌグイ」漢字で書くと「継子の尻拭い」という花があり気になっていたのです。
どう云ったら良いのか、クリオネの羽をもいで胴体だけを束ねたようなと云うか、イソギンチャクを蝕指だけにしたような、と云うか見かけはやさしく薄紅色が可愛らしい小指の爪ほどの小さな花です。草丈は3、40cm。
写真に撮りながらこんなんで肛門粘膜を拭われたら痛いだろうなあ、痔があったら飛び上がるだろうなあと思いながら一茶を連想し、まあそれだけの小さなハイキングだったのですが少し満ち足りた秋の午後でした。
もう一つ白い変わった形の小さな花も見つけました。痩せた老人の垂れ下がった白ひげのような花で調べると人字草、山道を歩けば何か珍しいものも見つけることが出来て楽しいものです。
三徳山の石段の近くまで下りた時杉林の下に小石を大量に集めておにぎり状に固めたような高さ3mほどの岩がありました。
あっ、これは国歌 君が代の「さざれ石」。
古事記には書き漏らされていますが大国主命がここでお昼を取られたとき何かでおにぎりを落とされて年を経てさざれ石になったものでしょう。
出雲大社やあちこちの神社にも小さなさざれ石が恭しく祭られていますが三徳山のは大きく形もよくて苔もむした、私の見たところでは日本一のさざれ石のようです。
放ったらかしにしないでこけら葺の屋根をかけ、注連縄も張っておけばと考え、タモリさんが見られたら興味を持たれるかも、と思いました。
近くには小さな河岸段丘もありそうな所です。
翌週、三徳山から来られるある患者さんにママコノシリヌグイはなんぼでもある、と云われました。カエル草とも云うそうですが次の週もう一度行って別の場所を歩くとなるほど、その辺り一面日陰の湿地に咲いている所があり少しガッカリしてしまいました。
でもそれは白っぽい、あまりきれいでは無いものでやはり私の見つけたものの方がずっと可愛らしいものでした。似合った名前に変えてやりたいとも思うのですがまだ思いつきません。
朝夕冷え込んで来ましたが山はまだ秋。野道のキョロキョロウオーキングも良いものです。
2017/6/5 温暖化の夏
この稿をずっとサボっているうちにそろそろ梅雨に入る時期になってしまいました。
しかし割りと空気の乾いた日が多く休日には庭に出たり散歩したり、心地よい季節です。
庭は春先は福寿草や連翹など黄色い花が多かったのですがこの頃は自宅でもよそのお庭でも白い花が目に付きます。
それも在来種ではない小さな花ばかりで名前が気になるところですが植えた本人に聞いても忘れており「手を後ろに組んで見てばかりしてないで自分でも植えたら」と逆襲されて、そういう時は黙って花を見るかあの雲は何雲かなあ、などと思ったりしているだけでしたが今年は違います。
昨年の11月頃、植木鉢の中で大きくなりすぎた萩を枝と根を切り詰めて庭先に植え直し、五月の連休にも頑丈して昨年濃い青色が気に入っていた朝顔と、なじみの散髪屋さんに頂いた風船蔓の種を五月の連休にプランターに植えたのです。
大雪も溶けて春になり萩の芽が伸びてくるのを楽しみにしながら待っていました。
ところが温かい風が吹いて他の木や草はどんどん芽を伸ばし枝を伸ばしているのに萩の木には何の気配も現れません。
植え方が悪かったのか、根肥が強すぎて負けてしまったのか、毎日心配しながら見ていました。小枝を折ってみるとぽきんと折れてしまいます。やはり枯れたのか、あきらめて抜いてしまおうか、いや、もう少し見て、と朝夕萩の木を眺めながら毎日がっかりした気持ちになっていたものでした。
ところが連休に入った頃、家内が萩の小枝に小さなとげのようなものを1個見つけました。
ハエの足先よりも小さな物で虫眼鏡で見ても何かのごみがついているように見え、芽ではないだろう、まあもう少し様子を見ておくか、としていたところそれから10日程も経って少し伸びてきたのです。あの枝にもこの枝にもというように数も増えてきました。
五月も過ぎてしまいましたが今では小さいながらしっかりと葉を茂らせ夫々の枝の先には蕾のような物もついています。
朝顔と風船蔓でも心配しました。10日以上経ってもなかなか芽が出てこないで、インターネットを見ると両方とも皮が硬いので、ただ植えておくだけでは生えて来ない事が多い、皮を少し削って一晩水に漬けてから植えると良い、となっています。
失敗したなと思っていましたがこれらも忘れる位になってから芽らしいものが出始め、しっかりした苗が育ってきました。一ヶ月以上経ったのにまだ時々芽生えて来て朝夕苗を見ていると何となく充実したような気持ちになってきます。
朝顔や風船蔓など小学生が日記の材料に植えるようなものでも、やはり自分で植えると気合が入ってくるものですね。夏の楽しみが出来て朝起きにも元気が出そうです。
トランプさんがパリ条約脱退を表明して心配しているところですが萩の木、朝顔、ふうせん蔓でどんなに暑い夏でもきっと元気に乗り切れそうです。
まだ間に合いますので子供さんや孫さんと植えて見られてはいかがでしょう。
少しは奥さんとの会話が増える事も保障します。
2017/1/4 2017 新年おめでとうございます
新年おめでとうございます。
今年は鳥取県中部地震の被害が残っている状態で迎える正月となりましたが皆様ゆっくりした正月を過ごして居られますでしょうか。
小学生の頃まででしょうが私が子供のころは正月が待ち遠かったもので、新年を迎えるとまるで昨日までとは全く違った日々が始まったようにさえ思っていました。
テレビもスマホもありませんが近所の子供たちが集まって凧揚げ、羽根突き、すごろくやカルタ取り、今にして思えば本当に懐かしい正月でした。
そしてその頃は世界も世間も現在よりはもう少しは穏やかだったように思われます。
日本でも世界でも災害や事件、紛争で何が起こるかわからないような昨今、兎に角安心して暮らせて、子供たちが希望の笑顔でいられる世界になるよう願っています。
何年か、何十年か先にでも2017年、平成29年が平安な時代の始まりの年であった、と云われるような年になって欲しいものですね。
そんな夢を思いながら本年もよろしくお願い申し上げます。
2016/11/28 久しぶりの副院長日記
東日本大震災や熊本地震で日本列島はせんべいの上に豆腐か蒟蒻が乗っているようなもの、その内私の住んでいる鳥取県中部にも起こるだろうとは思っていましたがしかし何も対策もしていませんでした。
実は34年前の昭和58年にも当地に大地震があり、その際もたくさんの瓦屋根が崩れてブルーシートが掛けられて居た事や、当時かなりおんぼろの官舎に住んでいたのですが夜中、家内に起こされて庭に飛び出し、落着いて部屋に戻ったところ7段のスチールの本棚が丁度私の枕元に倒れていたのを見てぞっとした事を思い出しましたが、50~60年は大丈夫だろうと思っていたのです。まったく油断していました。
地震発生後、間もなく防災ヘリが飛び始め、夕方には偵察機か何か、ジェット機も低空を飛んで応援の自衛隊や消防、警察、ボランティアの方もたくさん入ってこられて余震の恐怖が続く中、決してこの地は孤立はしていない、と心強く有り難く思い、感謝いたしました。
初震後、一ヶ月を過ぎ、余震は段々と減っては居ますが、もう大丈夫だろうと思っているといきなりドン、グラグラっと来て、まだまだ油断できないと思い、いつになったら本当に安心できるのだろうと思っているところです。
日が短くなり、先日、夜道を帰っていると星が輝いていました。あの星には地震はないのだろうなあ、と思ってしまいましたが、しかし、地震があることは地球が生きている証拠、、仕方がないけど覚悟して生きていかねばならないのだ、と考えてしまいました。
それにしても地震のない国がうらやましいですね。数日来ずいぶんと寒くもなり、東京にも雪が降りましたが、屋根や壁が傷んだ家の方は一層大変だろうと心配しているところで、何卒無事に乗り切っていかれるよう願っています。
きっと又良い町になる事も確信しています。頑張っていきましょう。
2016/4/19 震災お見舞い申し上げます
東日本大震災からまだ5年経ったばかりすが、また熊本で大地震が起こってしまいました。
犠牲者のご冥福と、被災された方へのお見舞いを申し上げます。
TVなどで写される光景を見ると、最も被害が強い所は阿蘇の近くの山に囲まれたような地域が多く穏やかで風光明媚、震災さえ無ければそろそろ田植えが始まって鯉幟が泳ぎ始めていたのではないでしょうか。
阿蘇山の地下水でおいしい湧水も多かったとの事ですが今は出なくなったり、濁って使う事も出来なくなっているそうで自分がきれいな水で風呂に入っていることが申し訳ないような気さえしてしまいます。倉吉の水道水は他よりは余程きれいで、おいしいので、その水を飲むと熊本のかたがたのご苦労が一層偲ばれます。
新緑に包まれたこの時期、俳句では山笑う、という季語が使われますがその季語が反って辛く、本当に日本は辛い国だと実感されます。
しかしその中で被災者の方々が一生懸命頑張っていられるのには心を打たれます。
日本人って芯は強いのですね。怒らず、わがままを言わず、協力し合って頑張っていられるのを見ると私たちの方が教訓を授けられるような感じで、倉吉にも鶯が鳴き、桃園には花が咲く桃源郷のような所もありますが(駄経寺という町から少し山に入ると桃園が拡がるミニ桃源郷です)この地に大きな天災の来ない事を祈りつつ、しかし油断もせず、いざと言うときは力を合わせて乗り切っていく、熊本の人々を見ているとその如くありたい思われます。
地震、天災はもはや日本ではどこに住んでいても他人事ではなくなりました。
その時きちんと判断し避難が出来るよう、心の準備と防災・避難グッズの点検をしておこうとも思いました。
如何せん、足は年々弱くなっているようで、冬を越えて東郷池一周が出来なくなっていたところですが心、体、防災・避難グッズの再点検、準備をして東郷池一周にも再チャレンジをしようと思っているところです。
地震お見舞いに紛れ込ませてちゃっかりご当地PRも入れてしまいましたが、本当にいつ何が起こるのかわからないのが21世紀の日本ですね。兎に角、熊本の皆様がなんとか頑張って苦難を切り抜けて下さるよう祈っています。
避難の準備
懐中電灯や水、食品等もですが笑い話に枕を抱えて飛び出したというのもあり、平素の練こそが一番の準備ではないでしょうか。
また避難は体力勝負と言う面もあり腕力、脚力、心と体の持久力も付けておきましょう。
これは普段の健康維持にもつながる事で、百年身を養うはこの一難にあり、と言う事ですね。
2015/12/26 一年間の長さ
久しぶりになってしまいましたが暮れも押し詰まって、漸く今年最後の副院長日誌に手をつける気になってきました。
本当に一年間て短いものですね。
皆さんもお感じの事でしょうが子供の頃は一年間とは本当に長い期間でした。しかし、いつの頃からか、一年間は速いどころか今では「ええっ、もう12月なのか、正月はこの前だったのに」と思ってしまうところです。
子供の時と年をとってからと、なぜ時間の進み方が違うのか、諸説あるようですが真面目に研究する事でもないとされているのか、医学、生理学などの研究はまだ行なわれていないようです。
しかし、これは私にとって、そして多分皆さんにも非常に大切、重大な問題であり、やはりきちんと考えて出来れば対策を取っておきたい物と思います。
さて、年をとると一年が短い理由によく言われるのは、実感の一年間の長さは年齢で割った数になっているというものです。1歳では1/1、2歳では1/2・・・50歳では1/50となる、と言う事でしょうか。
しかし実感の一年間はそれ程極端には短くはなっていませんし、また一歳では一年間が実際も実感も同じ一年間であるのは子供の頃一年間が長い感じになることへの説明は出来ません。
そこで私は下記の式を考えてみました。
実感一年間 ≒ (365-年齢×2)×0.1/年齢
この式では例えば50歳では1年が0.53年、70歳では0.32年に感じられるようになります。
100歳は0.16年で逆に5歳では1年間が7年、10歳では3年半、20才では1.6年となり子供の頃の一年の長さはやはりそれくらいだった様に思いますが、丁度一年間を一年間として感じるのは30歳となります。正しく壮年の極まりの年となって以後は段々と短くなるばかりですが、163歳を超えるまではゼロやマイナスになる事もありません。
おお、これは美しい、すばらしい式だと自画自賛してしまいしたが、しかし考えてみるとこれは現実を計算したもので、原因に迫るものではありません。
私は一年間が短く感じられる根本原因は物忘れにあるものと考えています。
若い頃はよく記憶しているため、一年間起こったことを記憶の中で並べるとずらーっと長くなるのですが高齢になるとどんどん忘れてしまって思い出したことを幾ら並べても僅かにしかならないため、その期間が短くしか実感できないという考えです。ふーん、どうだろうかと考えながら帰り道を歩いていたら脇を若い女性が足早に抜き去ってどんどん前に行ってしまいました。孫たちも歩いたり走ったりだけでなく、何でもサササッとしてしまいます。
ああ、年をとるとは何もかももゆっくりとしか出来なくなる事なんだ、と思ったものですが手足や頭を動かす速さが遅くなる事も一年間の過ぎ去る時間と関係あるように思われました。
まあ、兎に角一年間が短過ぎないようにする方法は頭も手足も活動性を保って時間をしっかりと捉える、という事でしょうか。
今年一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
※上式の係数を変えられるとご自分の感覚により近くなるかもしれません。
2015/8/5 夏の七草
今年は長期予報では冷夏だったそうですが本当にひどい暑さでニュースでは毎日毎日、38℃だの39℃だのと想像もし難いような気温を報道して熱中症にならないようにと注意を喚起しています。
私が子供の頃は30℃を越えると暑い日で、35℃などと言うのはインドやアフリカの気温でした。
段々と疲れがたまるような感じですが、しかし、それでも八月に入ると早朝の空気はやや涼しくなって、庭で孫の植えた朝顔を見ていると少しは寝不足のだるさも忘れる事が出来て、まあ、もうじき秋も来るだろう、と思って暑さを凌いで居る所です。
ところで私たちは一寸でも秋の事を考えると直結的に「秋の七草」と言う言葉を思い浮かべてしまいます。
山上 憶良が「秋の野に 咲きわたる花を救うれば」と7つの草花を入れて歌を詠み、それがいつの頃からか秋の七草と云われる様になったものです。
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」
この中であさがおは現在の桔梗を指すものと言う説が強いそうですが、朝の庭で思ったことは夏の七草や冬の七草も有っても良い、と言う事でした。
「夏の七草」と声に出してみて下さい。良い語感ではありませんか。夏の七草・・・・と歌が作りたくなってしまうような言葉です。
そこで私も夏の七草を選ぶ事に致しました。
あさがお 桔梗 のうぜん蔓 さるすべり きんぎょ草 てっせん ひまわり 夾竹桃 立ち葵 ほほずき 百合 ハイビスカス むくげ クチナシ 睡蓮 蓮 ざくろ 露草 なす。
あさがおも桔梗も夏に入れて比較的身近でなじみふかい草花ばかりですが、さてどれを選びましょう。
夏の七草さるすべり
朝顔 桔梗 立ち葵
ひまわり ほほずき のうぜん蔓
ではいかがでしょうか。これで少しは涼しくなってください。実は近所にあるものばかりです。「寒っ」?
山上 憶良が詠った七草の名前には難しい文字が使ってありますね。
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」
別のところで見ても読めそうにない字も有ります。皆さんはいかがでしょうか。
2015/5/18
ダカダカダンダンダーン、聞きなれた勢いのよい曲が始まりました。
CDをかけるとザードのデヴュー曲の『負けないで』が出たのです。
封印していたCDをかけて随分と久しぶりにザードを聞いたのは酔っていたせいか、いつの間にか痛みも薄らいでいたせいでしょうか。
ご存じでしょうか。ザード。坂井泉水がボーカルを務めていた音楽グループ。
いつだったかも忘れてしまった昔、でも確か初夏の頃のある夕方、岡山から帰る車でラジオを聴いていたら勢いのよい歌と、それについてのアナウンサーの話が聞こえ、それが私のザードとの出会いでした。
アナウンサーはその頃流行った記号論という言葉と絡めてザードの話をしていましたが記号論については今もわかりませんし、多分そのアナウンサーもよく理解して話していたのではないように思いますが。
しかし私は一瞬にしてザードの虜になってしまい、何枚かザードのCDを求め、そして家でも車でも繰り返し聞いていました。起きているときも寝ているときまでも。
求められてですが忘年会などでも歌いました。拍手を忘れるほどだった為か、アンコールをすることはありませんでしたが。
作詞も坂井泉水がしていたと知って才能のある人がいるものだなあと感心し、曲にシュ、シューと言う音が入っていて何の音かなと思っていたのが、ギターの弦に指を滑らせる音と気付いて、指が痛くなってじきにやめてしまった自分に反省させられたこともありました。
でも坂井泉水は病気になり、そして事故で亡くなってしまいました。2007.5.27。
いつかはライブで聞きたい、と思っていたその澄んだ良く通る声をもう聞くことはできないと思うと『負けないで』もその他もなにも聴く気が無くなってしまいました。
そして時が経ち今日ふと、久しぶりにザードを懸けたのです。
初夏と言う季節は何かを思い出させ、新たな気持ちを奮い立たせる季節なのでしょうか。CDを取り出してかける気持ちが出てきたことがしみじみとありがたく思われました。
改めてザード、坂井泉水さん、ありがとう。今日をきっかけにまた背中を伸ばして頑張っていきたいと思います。
今回はザードをご存じない方には何のことやらわからないような事を自分の感傷で書いてしまいました。
鬱(うつ)について
はっきりしたうつ病や重症のうつ病は分りやすいのですが軽症のものは誰にでも起こりうる症状で、原因不明、症状もそれぞれ異なる、とらえどころのないような病気です。
うつ病と一括りに言われても単一疾患ではないようで、軽いうつのような症状を心配して受診される方へは、長い人生の疲れが出たのでしょう、と言い、みんなそのような時期はありますよ、あまり頑張らないで、あるがままにで行けば良いでしょう、などと言うのです。
決して頑張ってとか、負けないで、などとは言いません。
私もザードにのめりこみすぎないよう、程ほどに楽しんで聴きたいと思っています。
※鬱は覚えにくい漢字ですが、“リンカーンはアメリカンコーヒー3ばい”という覚え方があります。。
2015/3/25 「フレイル」って聞かれたことはありませんか。
高齢化社会と言われ始めて久しくなりました。
高校の頃学んだ梁塵秘抄に、筑紫の門司の関守が老いたのを見て、あの関守も年をとったものだなあ、髪も真っ白になって、関守だったら何でも止められるだろうに自分の年くらい止められんもんかいなあ、と言うような歌があり、その時は入試勉強として読んだだけですがいつの間にか自分もその歌に共感している年になっています。
昔、国道9号線で京都へ行くのに「老いの坂」という木暗く急で曲がりくねった坂を超えていました。若い頃はそんな坂でも平気で走っていたものでしたが、時たまその坂道を思い出すとあの頃は、と言うような気持ちになってしまいます。
ところでこの頃時々「フレイル」という言葉が目に入るようになりました。筋肉が弱った事を意味するサルコペニアと言う言葉と一緒にしてサルコペニア・フレイルと一括りで言われることもありますが最近老年医学会が中心になって提唱された言葉で、その内、新聞やTVにメタボとか、ロコモと同じようにたびたび登場して来る事になるでしょう。
フレイルとは年を取って体の予備能、余裕が低下し、全身、あちこち、脳も神経も、骨や筋肉も、免疫機能も、その他何もかも弱って生活機能が低下した状態を表す言葉ですが、これまでは老年症候群といわれていました。
漢方では同じようなことを腎虚と言っています(腎虚とは決してあっちの方が衰えた、という事だけではなくてあっちもこっちも何もかも、全身が衰えた状態の事です)。
年を取ると当たり前のような感じもありますが、あれこれややこしい老化状態をフレイルと簡単にいうことによって、気軽に、且つ身近に考えてもらうようにしよう、と言う考えで提唱されたようです。
高齢者でもフレイルと診断される人とフレイルではない人とは微妙なような、そうではないような差があります。
お世辞抜きで、若いですね、と言われる人と言われない人との違いですね。
年を取ったと思う事は辛い事で自分は老化した、という言葉にはいささか受け入れがたい感じがありますが、しかし、フレイルという言葉が生まれたことによって、例えばメタボという言葉が出来て、太りすぎは健康に有害だ、メタボ解消をしなければ、という意識が身近になったように、老化と言うやや重たい感じの言葉をフレイルにならない様にとか、努力すればフレイルは防止・回復が出来る、フレイルだけど進行しないように、というように気軽で身近な意識にするのに役立つかも知れません。
桜の時期も近くなりました。「老いの坂」の山桜も大分膨らんで来ている事でしょう。
フレイル対策もいくら年を取っていても、始めればそれなりの効果が有りますので、まだまだ希望をもって前向きに進んで行きたいものです。
※下記の項目の内、3つ以上当てはまればフレイルの可能性大で、これが進行すると要介護となってしまいます。
1)1年間で体重が4~5kg減少した 2)以前より疲れを感じやすい
3)握力などの筋力が低下した 4)歩くのが遅くなった
5)体を動かす事が少なくなった
老化を促進したり、遅延させたりするメカニズムもいろいろ解明されていますが結局は老化すなわちフレイルの遅延、防止策は適切な運動や食生活、ストレス解消や十分の睡眠などです。少し意識すれば出来ない事ではありませんね。明日からなんて言ってないで。
<フレイルの予防と対策>
・定期的にウオーキング、ストレッチ体操を行なう。
・蛋白質、ビタミン、ミネラルを充分に摂る。
・活動量や認知機能を定期的にチェックする。
・感染予防に留意する(ワクチンなども)。
・手術を受けた際は栄養やリハビリの適切なケアをうける。
・内服薬が多い(6種類以上)人は主治医と相談する。 などです。
2015/3/9 認知症サポート医養成研修会に参加して来ました
まだまだ寒いのにそれでも梅や福寿草が咲き、春が近づいている事が実感されます。
先日、雪の日、行き帰りの飛行機が飛ぶかどうか心配しながら国立長寿医療研究センター主催の認知症サポート医養成研修会という会に医師会の推薦で参加して来ました。
全国から250人ほど参加しておられて今回が最多数とのことでしたが、認知症は平成24年度で460万人、正常と認知症の中間とされる方が400万人で65歳以上人口3100万人の内、1/3近くが認知症かその疑い有りという事で、対策が差し迫った問題となって参加者も多くなったのでしょう。
広範な内容の研修会でしたが今回は認知症サポート医の役割について書いてみます。
認知症の増加に対し認知症高齢者に優しい地域づくりを目的として「認知症施策総合戦略=新オレンジプラン」が立てられ、その一環として認知症サポート医という制度が作られています。
これまで2500人の医師がサポート医となっておられますが、「認知症サポート医」とは、国立長寿医療研究センターが行う認知症サポート医養成研修を修了し、「かかりつけ医」への助言等の支援を行うとともに、専門医療機関や地域包括支援センター等との連携の推進役となる医師です。
サポート医研修修了証書には区別はありませんが、精神科や脳神経科医師などの専門医のサポート医と一般医のサポート医があり、私は一般医のサポート医ですが家庭や社会で患者さんがその地域で出来るだけこれまでどおりに生活していけるよう公的機関やケアハウスの職員、ボランテイアの人たち、その他いろいろの方と連携をとりながら認知症の方を支えていく事や、特に地域の方や関連職種の方と協力して早期発見をしていく事等が主な役割となっています。
具体的には
1)地域医師会や地域包括支援センターとの連携づくりへの協力
2)地域住民、認知症の方の家族や介護サービス関係者等に認知症に係る知識の普及を推進
3)他の認知症サポート医との連携体制を構築して認知症医療の向上を図る
4)患者さんのかかりつけ医を対象とした研修会の企画、立案等が挙げられていましたが実際に何をするかは研修会でも示されませんで、地域に合ったやり方で行なって欲しいとのことでした。
認知症の方を支えるよう、すでに地域包括支援センター等のいろいろの制度が作られていますが認知症サポート医としてもそれらと協力しながらお役に立つことが出来たら、と考えているところです。
特に早期発見、早期支援で進行を遅らせたり、事故の防止が出来る事もありますので、周りにちょっと気になる、心配だというような方がいらっしゃったらかかりつけ医でも地域包括支援センターへでもご相談いただいたらサポート医も加わって診断や対策を行なっていきます。
認知症対策はそれぞれの地域性に応じて進めるようにという事ですが、この地域が認知症の方にとって住みやすい場所になるよう願っているところです。
※ 認知症にはいろいろな原因があり、中には治る認知症、遅らせることの出来る認知症もあり、早期発見、早期診断が大切です。
<認知症の初期の症状>
・同じことを言ったり、聞いたりする ・物の名前が出てこない
・以前あった関心や興味が無くなった ・おき忘れやしまい忘れが目立つ
・日課をしなくなった ・時間、場所の感覚が不確かになった
・財布を取られたと言う、疑いっぽい ・知っている道を間違える
・薬の管理が出来ない
2015/1/31 その2
お酒の上手な飲み方 ―― アルコールと脳
飲みすぎを続けていると頭をやられるか、肝蔵をやられるか膵臓をやられるか等でひどい目にあうことになります。
上手な飲み方として、食べながら飲む、休肝日を設ける、アルコール量にして30g以内にとどめるなどはご存知の事と思いますが、今回はビタミンB1について書かせて頂きます。
李白は飲みすぎて船から落ちて死んだとされていますがもしかするとビタミンB1不足で起こるウェルニッケ・コルサコフ症候群だったかもしれません。
ビタミンB1不足は脚気の原因としてよく知られていますがアルコールの取り過ぎをしていると脳でビタミンB1が働けなくなり、脳機能異常を来たしてウェルニッケ・コルサコフ症候群となり意識障害、運動失調、健忘症などや進行すると脳萎縮や認知症を来たします。
ビタミンB1は一日必要量は1mg程度ですが案外充分に取りにくいビタミンで、本来は米、麦類には割りと入っているのですが精白するとぐっと減ってしまいます。野菜や魚、肉、卵、牛乳にもそれ程多くはなく、飲酒時はビタミンB1必要量は増加しているのですが飲酒するとき食べるようなご馳走にはビタミンB1は割りと少な目しか含まれていません。
多いのが豚肉で牛肉の10倍は含まれています。うなぎの蒲焼、にんにく、ごま、えんどう豆にも多く含まれていますが意外だったのは油で揚げた即席麺に多いことで玄米並に含まれていました。ひと頃、即席麺で脚気が起こると問題にされた事があり添加されるようになったのでしょう。
酒を飲むと腹が減りますが糖尿病や高血圧が無ければお茶漬けよりインスタントラーメンがよいかもしれませんね。どなたかインスタントラーメンのお茶漬けを試して見られませんか。但しなるべくスープは入れないで。
2015/1/30 その1
先日久しぶりに東郷池一周をいたしました。
といっても歩いてではなくて自転車だったのですが久しぶりでしたので自転車でも疲れました。
池の畔に燕趙園という中国庭園があり、入り口の左の方の売店で中国物産や地元の名物などが売られています。
何と言うものでしょうか、中に綿が入ってふっくらと立体的に作られた唐辛子の様な物を沢山ぶら下げたものや、やはり綿で立体的に作られた大小の鯛、玩具や壁飾り、長崎くんちや太極拳の演武会で着られるような赤いぴらぴらの服、その他いろいろで店は小さいのですが中は国風、まっかっかの派手派手で見ているだけでもしばらく楽しむ事ができます。
老酒を買って店内見物をしていたところ、おお、真っ赤な表紙の小さいけれども分厚い本が目に入ったのです。
平積みにされにその本はなんと、毛語録でした。正しくは毛主席語録ですが、ご存知でしょうか、中国の文化革大命の際、紅衛兵達がもっていた本です。
7~8cm×12~13cm、厚さ2cmほどの小さな本を手に手に掲げて叫び、行列し、知識人やかつての地主、資本家などのいわゆる家系の悪い人たちやその子孫を三角のとんがり帽子をかぶせて引きずりまわしていった本ですが日本語訳とはいえ実物を見るのは初めてでした。それがこの燕趙園で見られるとは。
ためらいも無く買ってしまいましたが、売店を出て又自転車に乗ったところ突然空が暗くなってひどい向かい風がふきはじめて、進むのも困難な位になりました。
雨も降り始めて、これは不真面目な気持ちで本を買った者への毛沢東の怒りかと思ってしまいましたが、やがて黒雲は通り過ぎ、帰ってから本を開くとやはり階級闘争どうの、社会主義や共産主義がこうのと私にはとても読みきれない内容でした。文革時代の中国では疲れきった体で夜遅くまで学集会を開いてこの本を勉強していたわけです。
中国でもまだ売り続けられているであろうかと思い、出版社を見ると北京の外文出版社という会社でした。やはりまだ売られているのではないでしょうか。
小さな本で思い出がよみがえりましたが文化大革命をご存知の方もご存知でない方でも、一度是非、燕趙園の売店へ行って毛主席語録を手にとって見てください。
老酒は少しすっぱい感じがしたので賞味期限を探したところそれは書いてなかったのですが中国産ではなくて国産品でした。酸味料が添加されていましたが清酒とは違った、まったりとおいしいお酒でした。
2014/12/23
有って良かった、と思うことがありますね。無くした携帯が有って良かった、とか大金持ちになったけれども故郷の藁葺きの家が有って良かった、とか。
私の“有って良かった”は東郷池です。
東郷池の畔で生まれ育って今は倉吉に住んでいますが、15年ほど前から健康の為と池の周りを歩くようになりました。
東郷池に沿って一周12、3km、高低差は出雲山展望台が一番高いところで50m程ですが、殆んどで歩道も良く整備された三時間前後の歩きやすく、優しいコースです。
当初は藤津公園から橋津橋までの往復でしたが、ある日一周にチャレンジして完歩出来たのでその後は一周もするようになりました。
季節や時間で変わる湖面や周囲の景色を見ながら歩くのは実に気持ちの良いピクニック気分のウオーキングで、時々知り合いに出会うこともあります。
こんなところに花が咲いているとか、ここから羽衣石城が見えるのか、などという発見でうれしくなる事も有り,幾つか花の名前も調べました。
岡の梨畑がほったらかしになっていた年があり、病気かな、亡くなったのかな、と心配したところ翌年はしっかり作ってあって安心した事や、十本ほどの紅梅の古木が幹半ばから切り倒されてがっかりしていたところ、新しい枝が伸びて来て花も咲き、ああ、古木の再生の為であったのかと感心した事もありました。
本当に東郷池が“有って良かった”です。
ところで3、4年前の10月、夕焼けが暗くなりかけて遅くなったな、と足を速めていたところ出雲山展望台付近で車に乗った男の人に伯耆一ノ宮、倭文神社への道を尋ねられた事がありました。
80歳過ぎほどの白髪で穏やかな、上品な感じの方でしたが今でも顔を思い出します。
もう少し先を左に回って、と教えてあげましたがこれから神社参りはちょっと遅いなと思い、そして暫く歩いたところで、あっ、あの方は出雲からの帰りに倭文神社に寄ってこられた
どこかの神様かも、と思ってしまいました。
神様はいろいろお姿を変えて旅をしていられると思いますが、知らない所では道が分らなくなる事が有っても仕方ありません。ましてなれない自動車では。
などとウオーキング中、出鱈目の事を思い、一人で笑ってしまう事もありますが、これも一つの楽しみです。
どうか神様も運転にはお気をつけくださいませ。春も早く来させてください。
※ ウオーキングの主な効用
気持ちを開放し朗らかにする。
エネルギー消費で血糖、中性脂肪を下げる。肥満の場合、体重も減らす。
筋肉細胞中の脂肪分解には多量の酸素が必要で、脂肪を減らす為には酸素を
多量に取り入れるウオーキングなどの呼吸をしながら行う有酸素運動が効果的です。
筋肉を強くし、且つ、筋肉細胞を糖を消費しやすい細胞にする。
血管や骨、脳や神経を強くしたり働きをよくして老化を防止する。
2014/11/1
いくつか台風が過ぎて、朝夕冷え込むようになり、今年も残り少なくなってきましたが豪雨や噴火など、多くの犠牲者が出て、悲しい事が続いた年でした。
犠牲者のご冥福を祈り、ご家族の方へお見舞い申し上げます。
お隣の国の沈没事故や通気筒の蓋が壊れた、などは戦後の日本でももっとひどい事故が度々発生していた事もありましたが経済的に余裕が出来、法的整備もされて再発は減ってきています。
しかし近年、自然災害はむしろ増加しているようで今後も大災害が予想される日本は本当に辛い国です。
再度原子炉事故でも起これば、日本は再起出来ず、北海道かどこかの残った地域に集まって、香港やシンガポールなどの都市国家型の国にならざるを得ないかもしれません。実際、福島第1原発事故ではあわや関東、東北総撤去かと緊張しました。また、世界では特に中東地域の混乱や、エボラ出血熱などの恐怖が続いており、日本もいつ巻き込まれるような状態になるものかわかりません。
21世紀は災害の世紀、という予想や個人的な予感がありましたが今のところ当ってしまった様で不安を覚えているところです。
ところで血糖値を上昇させるものの一つにストレスがあります。
緊張した時、どきどきして血圧も上がるのはアドレナリンというホルモンが上がるからなのですが、アドレナリンは血糖の上昇にも強く影響しているのです。血糖コントロールの良好な糖尿病患者さんが手術を受けられるといきなり血糖値が300mg/dl以上にも上昇する事がありますが、これを見ると手術では緊張や術後の痛みなどでかなり強いストレスが起こっている事がわかり、そしてストレスが本当に血糖に強い影響を与えている事も実感されます。
年々糖尿病が増加しており、食事や運動不足、仕事の変化などについて言われていますがもしかすると慢性社会的ストレスもデータでは見えなくても結構大きな要因かも知れません。おだやかで程々に住み心地の良い社会になればきっと糖尿病も減ってくるものと思います。
でも、どうしたら、嗚呼、これも小さなストレス。
※血糖調節にかかわるホルモン
・血糖を下げるホルモン・・・・・・・・インスリンだけです
・血糖を上昇させるホルモン・・・・・アドレナリン グルカゴン 副腎皮質ホルモン 成長ホルモン
血糖上昇機構の方が色々厳重に備わっているのは大昔は高血糖が起こることは少なく、低血糖のほうが多くて危険でもあるからです。
2014/9/18
今回はメタボについてです。
2008年にメタボ健康診断が始まって大分経ち、マスコミの取り上げ方も少なくなっていますが、町で見かけるお腹が大きい方はなかなか減ってはいませんね。最近、もうちょっとやせられた方が良いですよ、と話している方が多くなっていますので今回はメタボはなぜ悪いのか、お話いたします。
メタボリック症候群、いわゆるメタボとはお腹の中に過剰の脂肪が溜まり、それに伴って血圧、血糖、脂質などに異常を来たしている状態の事です。脂肪には皮下脂肪と内臓脂肪があり、皮下脂肪の付き過ぎも良くないのですが内臓脂肪の増加は高血圧、糖尿病、脂質異常症と動脈硬化症、さらに脳梗塞や心筋梗塞を引き起こして来るため問題となる訳です。
臍周りの腹囲が男性85cm以上、女性90cm以上、CT検査では臍の高さの内臓脂肪面積100cm2以上が内臓脂肪蓄積を来たしているものと考えられてメタボ診断の必須条件となります。
ところで体内の脂肪はバターのように血管や臓器、組織に塗りつけられている訳ではありません。脂肪細胞があり、脂肪はその中に貯蔵されているのですが、貯め込んだ脂肪の量によって脂肪細胞は大きくなったり小さくなったりしており、大きくなり過ぎると脂肪細胞の機能異常が起こってしまうのです。
これまで脂肪細胞はただの脂肪貯蔵倉庫のように考えられていましたが、近年色々の機能を持っていることがわかってきました。そしてメタボ状態になると良い機能が低下して悪い機能が亢進して来るのです。
色々の問題がありますがその一つがインスリンの働きを低下させて血糖を上がり易くさせる事で、それを補うため余計にインスリンが分泌されるようになってしまうのです。
インスリンは血糖を下げて糖尿病にならないようにする良い作用ばかりが知られていますが、実は過剰なインスリンには動脈硬化を促進させるような重大な悪い働きもあり、メタボの悪影響の主なものは過剰のインスリン分泌を来たす事と、それによって動脈硬化が起こってくる事なのです。
インスリンについても過ぎたるは及ばざるが如し、と言えるようで、これを回避する方法はとにかく体重を減らす事です。取りあえずは現体重の5%を減らせば内臓脂肪細胞機能は正常化するとされています。
冬が来る前に、という歌がありますが、動脈硬化が来る前に、なるべく早いうちにメタボ解消に取り掛かって頂きたいものです。
※過剰なインスリンの不都合な作用
・脂肪蓄積を起こさせて肥満を招く
・脂質代謝に悪影響を与える
・血圧上昇を来す
・動脈硬化を促進させる など
2014/8/5
初めまして。簡単に自己紹介をさせて頂きます。
わたしは内科医ですが内科のいろいろの分野の中で何か中心になるものを身に付けたい、と考えて腎臓内科を選び、患者さんを診ているうちに糖尿病で腎障害を来たしている方が急速に増加するようになってこれは何とかしなくては、と糖尿病の勉強も始めた者です。
更に、もう20年も前になりますがある機会に漢方薬を使ったところ思いの外の効果が得られ、それから漢方薬にも強い興味を持って勉強をするようになりました。漢方薬が良かったと言われる患者さんも多くなり、漢方薬を使用することで治療の幅、選択肢が増えている事を実感しているところです。
日本人には糖尿病は少ない、と言われていた時代から糖尿病が国民病とさえいわれる時代になり、腎臓についても数年来慢性腎臓病(CKD)の危険性が注目されるようになって脳卒中や心臓病のない健康寿命を全うするためにはまず腎臓の健康を、と言われるようになりました。
病気についての考え方も糖尿病や高血圧症、脂質異常症など以前は成人病と言われて年をとれば仕方がない、と捉えられていたものが生活習慣病と言われるようになり、不適切な食生活や運動不足をしていると健康を損ねる遺伝子や寿命を縮める遺伝子が活発化する、などという研究も増えてきました。
私たちの生活も変化しましたが病気も変化しており地域医療に関わる医師の役目は学問としての医学を実地医療に応用する事と心得て、患者さんたちと一緒に健康に取り組んで行きたいと思っているところです。
今後ともよろしくお願いいたします。
※ 慢性腎臓病(CKD)
原因はいろいろありますが蛋白尿や一定の腎機能低下があるものの総称で
腎不全の原因となるだけでなく、脳卒中や心不全、心筋梗塞などがCKDで
ない方の3~4倍に増加する事が問題となっています。
2014.8.5版